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↑梅坪遺跡製塩土器 |
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知多・渥美半島などの海浜部で生産された塩は税として都へ運ばれた他,生活に必要な食糧の中で古くから流通し,内陸へ運ばれています。古墳時代後期の製塩土器が小針遺跡(碧海郡)から多数出土した他,奈良〜平安時代の製塩土器が梅坪遺跡(賀茂郡)から多数出土しています。製塩土器は近年の調査・研究により,沿岸部から内陸に運ばれたことがわかってきました。古代の矢作川では塩の流通を足がかりに各種の物資の流通が推定されます。
また,河川近くに立地した各遺跡では漁に使用した網の錘(土錘)なども古墳時代後期〜平安時代の遺構から出土し,川との関わりが日常生活の上でも深かったことがわかります。 |