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↑七州城大手門鯱
   1604年,武蔵国瓶尻(熊谷市)から三宅康貞が入封して衣藩が始まりましたが,1619年に伊勢国亀山へ移っています。三宅氏は1636年再び衣藩の藩主となりますが,1664年には三河国田原(渥美郡田原町)へ移り,衣藩は廃藩となりました。その後,1681年陸奥国石川(福島県石川町)より本多忠利が入封して衣藩ができました。本多家は1749年遠江国相良(静岡県榛原郡相良町)に所領替えとなり,代わって上野国安中(群馬県安中市)から内藤家が挙母に入りました。
  挙母の地名は,本多家時代に表記が「衣」から「挙母」へとあらためられています。

   
↑子守明神祭礼絵巻
   1749年上野国安中から挙母に入った内藤政苗は,新たに挙母城を築城することになり,はじめ現在の桜町に築城を始めますが(桜城),度重なる洪水で断念し,あらたに童子山(小坂本町)に城をつくりました(七州城)。城内には,藩校・崇化館がつくられ子弟の教育にも力が尽くされました。また挙母城下では山車を町ごとにつくり,毎年勇壮な祭りを行い,山車は城内にも曳き込まれ,歌舞伎が披露されたといわれています。内藤家は,明治維新まで約120年にわたり挙母を治めました。

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